【泣いた】「ぼくが生まれてごめんなさい」障がいを持って生まれた子供が母に宛て綴った”詩”に涙


生まれながらに障がいを持ち、思うように体を動かすことができない少年。

たとえ障がいを背負っていても、心は健常者と何ら変わりはありません。

私と同じく喜びや怒り、そして悲しみも

時には他人からの心無い言葉に傷つき、そして自分を責めてしまう事もあります。

まだ障がいが世間的に認知されていない時代を生きた少年は、心無い人の視線に何を思い何を感じたのでしょう。

それは少年が母に向けて書いた”詩”の中に綴られていました。

障がいの発覚

1960年奈良県桜井市に次男として体重2,700グラムで誕生した山田康文さん。

難産ながらも無事に誕生した新しい命に、家族は喜びに浸りました。

ところが生後12日目、康文さんは発熱し、黄疸が出てきてしまいます。

自力でお乳を吸う力もない赤ちゃんの異常に気付いた母・京子さんは、奈良県立医科大学を訪れました。

そこでの精密検査の結果、康文さんは脳性マヒを起こしていたことが判明したのです。

お産の際に康文くんの脳が酸素欠乏を起こしたか、あるいは脳内出血したことが原因と考えられました。

生きる希望を

京子さんは康文さんを数々の病院へ連れて行き、ハリ、指圧などありとあらゆる治療を受けさせます。

宗教団体にまで入信し息子の回復を願いますが、症状が良くなることはありませんでした。

もういっそのこと一緒に命を絶とうか・・・とも考えますが、康文さんの生きる意欲と家族の愛でその気持ちを押しとどめます。

そして8歳になった康文さんは、奈良の明日香養護学校に入学しました。

康文くんは明るい子で、すぐにクラスの人気者になったといいます。

1975年4月には体の不自由な子供達が集うタンポポの会により「わたぼうしコンサート」が開かれ、そこで康文くんが書いた詩が披露されました。

森昌子さんが謳ったその詩はラジオでも取上げられ、多くの人に衝撃と悲しみを呼んだのです。

「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」


「おかあさん、ぼくが生まれてごめんなさい」

ごめんなさいね おかあさん

ごめんなさいね おかあさん

ぼくが生まれて ごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの

細いうなじに ぼくは言う

ぼくさえ 生まれてなかったら

かあさんの しらがもなかったろうね

大きくなった このぼくを

背負って歩く 悲しさも

「かたわの子だね」とふりかえる

つめたい視線に 泣くことも

ぼくさえ 生まれなかったら

障がいを持ちながらも明るく過ごしていた康文さんが抱えた思い。

それは自分に付ききりで介護してくれている母への謝罪の言葉だったのです。

この詩を読んだ母は、まるで返事を書くかのように息子に宛てて詩を書きました。

私の息子よ ゆるしてね


私の息子よ ゆるしてね

私の息子よ ゆるしてね

このかあさんを ゆるしておくれ

お前が脳性マヒと知ったとき

ああごめんなさいと 泣きました

いっぱい いっぱい 泣きました

いつまでたっても 歩けない

お前を背負って 歩くとき

肩にくいこむ重さより

「あるきたかったろうね」と 母心

”重くはない”と聞いている

あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう

ありがとう 息子よ

あなたのすがたを 見守って

お母さんは 生きていく

悲しいまでの がんばりと

人をいたわる ほほえみの

その笑顔で 生きている

脳性マヒの わが息子

そこに あなたがいるかぎり

そしてこのコンサートの後、康文さんは突然天国に行ってしまいました。

横になっていた時に、枕が顔を覆ってしまったことによる窒息死でした。

康文くんの死後、お母さんの京子さんは「たんぽぽの家」の資金集めに奔走し、兄の英昭さんは脳性マヒの治療法を研究するため医大に進みました。

平成12年1月、七尾市にある願正寺の住職で書道家の三藤観映さんが康文くんの詩を読み感動して筆を取りました。

金沢市で開催された「現代美術展」に出展した三藤さんの作品は多くの人に感動を与えました。

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