これでも自衛隊は必要ないと言える?震災にまつわる自衛隊員の感動エピソード


憲法や自衛隊についての議論がここ数年で活発になっています。

一部の人から「自衛隊」は憲法違反であるという理由から目の敵にされています。

中には「暴力装置」「人殺しの訓練をしてる」などという酷い言葉を浴びせる人達までいるのです。

しかしひとたび災害となれば、己の寝食を忘れて一心不乱に救助活動に全力を尽くし、己の命も顧みず私達の盾となってくれるのも自衛隊員の皆さんなのです。

これからご紹介するお話は、必要不可欠な存在でありながら冷遇され続けてきた自衛隊と、震災にまつわるお話です。

「ごめんなぁ」

某議員サイトでの自衛隊のあまりの叩かれ方に辟易してここにやってきました。
外野でボロカスに言われても、こことか見てると、分かる人は分かってるんだなって思ってほっとしました。

被災したとき、俺はまだ中学生でした。全開した家で、たまたま通りに近い部屋で寝てたので、腕の骨折だけで自力脱出できました。
奥の部屋で寝ていたオカンと妹はだめでした。
なんとかしようにも、あたりも真っ暗、俺も怪我していて手作業ではどうしようもなく、明るくなってからようやく近所の人に手伝ってもらって瓦礫をどけながら、必死で掘り返しました。
でもどうしようもなかった。
半日以上たってから、自衛隊の人を見かけて夢中で助けを呼びました。
数時間以上かけたと思います、自衛隊の皆さんは瓦礫の中から母と妹を救助してくださいました。
残念ながら母も妹はすでに亡くなっておりました。
その後、家は火事で焼け落ちました。
あの時自衛隊の皆さんが来てくださらなかったら、妹の遺骨を焼け跡から拾うことになったのかも知れません。
ボロボロになった妹の体を引きずり出して、「ごめんなぁ」とつぶやいた自衛隊の方の顔を俺は一生忘れません。
あの時は、本当にありがとうございました。
それから、俺の怪我の手当もしていただきました。ありがとうございました。

政治家が何を言おうと、俺達はあのときの皆さんに感謝しています。
本当にありがとうございました。

怒る少女

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女
「あんたら地元の人間か?」

団体
「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」

少女
「で、何しにきたんや?」

団体
「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」

少女
「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」

団体
「・・・・?」

少女
「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。 寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて 夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。 私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。 あんたらにわかるか? 消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。 でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

「あなたと同じ自衛官になりました」

平成7年1月17日午前5時46分。当時、小学3年生だった陸上自衛隊第3特殊武器防護隊所属の安藤良平陸士長(22)=兵庫県伊丹市=は、神戸市兵庫区中道通で被災した。

自宅のあった3階建てのマンションは全壊。中道地区は倒壊家屋が多く、犠牲者は70人以上に及んだ。3階の一室に家族4人で住んでいた安藤さんは、崩れ落ちたがれきの下敷きになった。

けがはなかったが、倒れかかったタンスと壁の隙(すき)間に入り込み、救助されたのは発生から半日以上経った午後6時前。 避難所となった近くの小学校で、父親の政弘さん(52)に抱きかかえられていたとき、ようやく意識が戻った。

地域住民らが身を寄せ合う真冬の小学校。ビニールシートと木材で校庭に建てられた仮の住まいで約3カ月間、避難生活を送った。その間、相手をしてくれたのは、避難所を毎日訪れる若い自衛隊員だった。

隊員はときに遊び相手になり、話し相手になってくれた。来るのは昼過ぎの給水時間。生活再建の悩みなどで重苦しい雰囲気の避難所で、隊員は優しく、頼もしい「お兄ちゃん役」だった。

そんな自衛隊員が「命の恩人」だと知ったのは、約2年後の小学5年生のころ。半日以上も意識が戻らなかった息子を心配してか、震災のことをほとんど語らなかった父が教えてくれた。

(中略)

地元の高校を卒業後に入隊。訓練は想像以上に厳しかったが、「人を助ける人間になるには必要」と言い聞かせた。配属先は、放射能汚染や洪水災害後の防疫、消毒作業などを行う化学科を希望。危険な仕事だが、困った人を真っ先に助ける職種に思えたからだ。

今春で自衛隊員になって丸4年になる。各地で地震、水害が頻発するが、災害現場への出動経験はまだない。それでも日々の訓練を通し、1人の被災者を救助することでさえ難しいことを知った。

(中略)

震災から間もなく13年。うれしい知らせも届いた。救出してくれた隊員が見つかり、16日午後、自宅跡地で再会するという。そのとき、こう伝えたいと思っている。

「あなたと同じ自衛官になりました」

産経ニュース 2008/01/11

兄から遺書を渡された

私の家は父が私が出生してすぐに離婚し、旧姓に戻った母親とその父である祖父・祖母・兄と私で暮らしてきた。

旧軍人の祖父と祖母は商売をしていて、母もその手伝いで私と兄を大事に育ててくれた。

おかげで私も兄も成長し、兄が自衛官・私は大学生になっていた2011年。

あの東日本大震災に兄が災害出動することになった。

出動前に兄が自宅に戻ってきて、祖父・祖母・母と私と食事をすることができた。

兄はいつもの調子で冗談を飛ばし、直接の被害がなかったとは言え沈んでいた私たちを笑わせてくれた。

だが深夜になって私と祖父を呼んでこう切り出した。

「今回の出動では地震津波被害の他にも原発への救援もある。

だから万が一にも無事に戻っては来れないと思う。

どうか自分がいなくなったあとも、家族をお願いします」

と祖父と私に遺書を渡してきた。

私は兄が死にに行くんだと思って取り乱して泣いて嫌がった。

祖父はそんな私を諌めて兄の遺書を粛々と受け取った。

改めて兄に向き直り、

「国家危急の時、○○家嫡男として国民の為に尽くし、決して生還を諦めずに戦いなさい」

と兄に激励の言葉を送った。

翌朝まだ日が明けぬ内に兄を見送った。
祖父と兄が互いに敬礼し、昨夜の遺書もあって、いやがおうにも非常事態ということを認識させられた私の心は修羅場だった。

無事に活動を終え、戻ってきた兄に抱きついてわあわあ泣いたのをご近所中に見られて恥ずかしかったと、兄があの時を振り返って嬉しそうに言ったので書いてみました。

失礼しました。

若者の代表として

死者6433人、重軽傷者43792人。被害額約10兆円。

「若者の代表としてひとつだけ言いたいことがあります・・・」

焼け野原に立つ避難所の一角で、その青年は拡声器を握り締めて話し始めた。
真っ赤に泣きはらした瞳から流れる涙をぬぐいながら、搾り出すように、しかしハッキリと話を続ける。

「これから僕らがこの神戸を立て直していかなければなりません。その後ろを押してくれたのが自衛隊の人達です」

周りにいた大人達も涙を流し、そして思わず、今日別れることになった陸自・災害派遣部隊の人々に駆け寄る。

「長い間、ありがとうございました!」

青年はそう叫ぶと、ひとりの自衛官の胸に飛び込み、そして声を出して泣き出した。
自衛官も頼もしい腕で抱きしめ、共に泣いた。

”自衛隊さん、ありがとう”

そう書かれた横断幕が風で揺れる中、自衛隊最大の任務はここに幕を閉じた。



今回ご紹介したエピソードはどれも古いお話しですが、近年自衛隊に対する話題が活発になっていることを受け掲載させていただきました。

この問題に対しては人それぞれのお考えがあるでしょう。

しかし自衛隊員の方は、どんな命も救うためにあるという考えはできないのでしょうか。

国民の危機に備えて日々辛い訓練をこなし、有事となれば命の危険を顧みず任務に従事してくれる。

自衛隊というのは「誰かがやらねばならない役割」を自ら選んでくださった方々の集まりです。

どのような思想を持つのも個人の自由ではありますが、感謝すべき側面を無視し一方的に中傷を浴びせるのはいかがなものかと感じます。

最後に広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員さんの、最も心に突き刺さるエピソードをご紹介して終わりたいと思います。

広島の平和集会で

広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉

市民
「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」

市民
「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」

そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う

自衛隊員
「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」

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