泣ける

【泣いた】ガンにより若くしてこの世を去った少女。彼女の死後、鏡の裏からたくさんのメッセージが発見される

イギリス・レスター出身のアシーナ・オーチャードさん。

スポーズが大好きで、特にボクシングがお気に入りだったという彼女。

明るく活発な12歳の少女は、妹4人・弟3人の面倒をよく見てくれる家族思いの優しい女の子でした。

しかしクリスマス前のある日、アシーナさんは自分の身体に異常を感じ取ります。

それは恐ろしいほどのスピードで彼女の人生を奪っていったのです。

おでこにコブを発見

自分のおでこにコブのようなものがあるのを発見したアシーナさん。

ぶつけた記憶も痛みもなかったため、すぐに消えるだろうと心配はしていませんでした。

ところが発見したその日のうちにキッチンで意識を失い、そのまま病院へ搬送されました。

検査の結果、コブだと思っていたおでこの膨らみが「骨肉腫」である事が判明したのです。

骨肉腫は骨にできる悪性腫瘍のガンで、若年者に発生することが多いといわれています。

7時間にもわたる手術で腫瘍を摘出されたアシーナさんは、そのまま化学療法を始めることになりました。

しかしガンは恐ろしいスピードで進行を続け、ついにはベッドから起き上がることもできなくなってしまいます。

日を追うごとに病状が悪化していく娘を、両親はただ見守る事しかできませんでした。

「アシーナには、建設的に考えて、泣かないでと言われました。

ガンがものすごい早さで進行していることを私たちは知っていました。

あの子はできる限り戦ったんです」

その後もガンと闘い続けたアシーナでしたが、13歳の誕生日を迎えて間もなく、家族に見守られながらその短すぎる生涯を閉じました。

アシーナさんのメッセージ

アシーナさんが亡くなった2日後、父のディーンさんは彼女の部屋を片付けていました。

そして鏡を動かしたとき、その裏にたくさんの文字が綴られているのを発見したのです。

「驚きました。それは3000字ほどの文章でした。

涙が込み上げて来て、途中で何度も読み続けることができなくなってしまいました」

そこにはアシーナさんが残した力強いメッセージが記されていたのです。


「幸せになれるかは、自分の気持ち次第。物語はハッピーエンドで終わらなくても、その物語に意味があればいい。

生きることの意味は、意味のある生き方を見つけること。それが平凡な人生と素晴らしい人生の違い。

幸せは目的ではなく、向かう方向のこと。存在していることを感謝しつつ、元気で、自由に、信念を持って、いつまでも若くいること。

人は私の名前を知っていても、私の話を知らない。私のしたことを聞いたとしても、私の経験したことは知らないはず。

愛とはガラスみたいなもの。見かけは綺麗でも、とても儚い。

毎日が特別な日。だから一日一日を精一杯生きる。明日、人生を終わらせる病気にかかるかもしれない。人生は自分が悪くしない限り、絶対に悪くならないのだから。

愛は少ない。人生は不思議。永遠に続くものなど存在しない。人は変わる。人生はだれもが遊べるゲームだけど、その中で愛は唯一の褒美かもしれない。

もし誰かがあなたのことを愛しているなら、どんなに状況が厳しなってもあなたを手放すことはない。

人生は良い時もあれば悪い時もあることを忘れてはいけない。悪い時がなければ、良い時の意味もないのだから。

私は、自分が心を許せるような相手と恋に落ちるのを待っている。

愛とは、将来を過ごせる相手がいることじゃなくて、その相手なしでは考えれれない将来のこと。

あなたが私のそばにいてくれることがわかっている限り、泣く理由はない。」

このメッセージほんの一部ですが、知徳に溢れた言葉や想いが綴られていました。

病床にあっても、アシーナさんは人生の美しさを見る力を失いませんでした。

鏡の裏に書かれたマニフェストを、鏡の中の自分を見る度に思い起こしていたのでしょうか。

ディーンさんはこの鏡について、このような心境を語りました。

「本人は何も言っていなかったけれど、それがあの子らしいと思いました。

アシーナは深く物事を考えていました。ものを書くことが好きで、いつも何かを書いているようでした。

アシーナは亡くなりましたが、彼女の書き残した文章を通して彼女が生き続けているのような気がします。

この鏡はずっと大切に保管するつもりです」

天国に行くママと妹に最期のプレゼント、8歳の少年の贈り物に誰もが声を詰まらせ涙を流しました

クリスマス直前のおもちゃ屋さんはどこか浮足立った人々で賑わっています。

多くの「サンタ」たちが訪れるお店で、1人涙をこらえ悲しげに佇む少年。

どうしてもその初年が気になった女性は少年に声をかけます。

するととても信じがたいことを語りだしたのです。

妹にクリスマスのプレゼントを

それはクリスマス直前のある冬の日でした。

姪っ子の輝くような笑顔を思い浮かべながら、ある女性がプレゼントのぬいぐるみを選んでいました。

持ち合わせはいくらかと財布の中身を確認していると、通路の奥から鼻をすする音が聞こえました。

目をやると小さな男の子がそこに立っていました。

それは、8歳か9歳くらいの男の子でした。

青いウールの帽子から茶色いカールした髪の毛がのぞいていて、コーデュロイのズボンは何度も洗われたのか色落ちし、靴紐はぐちゃぐちゃと結んであります。

男の子は、悲しい目をしていました。女性は財布を握りしめながら男の子に近づいて行きました。

どうして悲しそうな顔をしているのか気になったからです。

近くまで行くと、男の子は涙が溢れてくるのを必死に我慢しているような顔をして、手首にはピンクのリボンが巻いてありました。

「こんにちは、一人でここにいるの?」

彼女は尋ねました。

男の子はおもちゃを見つめながら、妹にクリスマスのプレゼントを買いたいのだと答えました。

「まぁ、素敵ね。それならどうしてそんなに悲しいの?」

男の子は彼女を見つめ、プレゼントを買うお金が足りないのだと答えました。

「あら、サンタはきっと妹さんにお人形を持ってくるんじゃないかしら?」

女性はそう言って、男の子を元気付けようとしました。

男の子は黙り込み、彼女の目をじっと見つめました。女性は彼の目の中に、何か悲しみ以上のものを見た気がしました。

妹は天国にいるんだ

「サンタは妹のいるところまでは行ってくれないんだ」

女性は自分の喉が詰まっていくような感じを覚えます。

そして、次の質問を絞り出しました。

「妹さんに何があったの?」

答えが聞きたかったかはわかりませんでしたが、尋ねずにはいられなかったのです。

「妹は天国にいるんだ。天国にいる妹に何か素敵なものをあげたいんだ。
僕のママももうすぐ天国に行くから、きっと人形を持って行って妹に渡してくれるんじゃないかと思って」

女性は足元の床が抜け落ちていくような気がしました。

彼女は深呼吸して言います。

「そう、じゃあいくら持ってるか見てみましょうよ」

そして、男の子のお金を数えながら、女性はそっと自分の財布から数ドルを忍ばせました。

男の子が再び財布を確認すると、彼の手元には人形を買っても少し余るほどのお金がありました。

男の子の目に光が少し戻ります。

「やった!これならママの大好きだったお花を買ってあげられる。白いバラが好きなんだ」

少年が走り去っていくと、女性は男の子の言っていたことが本当なのか、突然分からなくなりました。

女性はあまりにも衝撃を受けていたのか、姪っ子への贈り物を買うのを忘れそうになりました。

おもちゃ屋を出ると、ふと新聞の見出しが飛び込んできました。

それは酔った運転手が起こした交通事故についてでした。

記事には、母親と4歳の娘がこの事故で重傷を負ったこと、この幼い少女は病院に搬送される途中で命を落とし、母親は深い昏睡状態で危篤状態にあること、現在も懸命な救命活動が行われていることが書かれていました。

まさかこの人たちがあの男の子の家族なのではないだろうか?

しかし、女性はこの考えを打ち消そうとしました。

無意味に奪われた命

それから数日間、女性が新聞の死亡記事を注意深く読んでいると、見つけたくないと思っていたある葬儀告知が目に入ってきました。

あの交通事故に遭った女性が亡くなったのです。

そこにはこうありました。

「無意味にあまりにも早く私たちの元から奪われました。私たちの小さな天地と再びあちらで会えるだろうということがせめてもの慰めです」

そこには埋葬式の日付と場所が書いてあり、女性はそこに行くことにしました。

彼女は白いバラのブーケを買い、墓地に向かいました。

墓地に着くと、彼女はそこにあのおもちゃ屋で出会った男の子を見つけました。

片手には1本の白いバラ、もう一方の手には人形を握っています。

傍に立つ父親は、平静を保とうと必死なのが見て取れました。

女性はかける言葉が見つからず、静かに墓穴に向かいました。

涙が止めどなく溢れてきました。

バラのブーケを墓穴に入れるたとき、ほんの少しだけ男の子と目が合いました。

そしてついにあのときお店でこの少年の目からどうしてあれほど目が離せなかったのかわかりました。

彼の目は大人の目でした。

大切な人を失い、悲しみを経験した大人の目だったのです。

彼女の心は砕けそうになりましたが、結局かける言葉が見つかりませんでした。

(原文まま)


本の一瞬の出来事が、少年と父親の人生を大きく変えてしまいました。

幼い女の子の未来を奪い、男の子から母親を奪い、父親から愛する妻と子供を奪ったのはたった1人の飲酒運転でした。

すべては飲酒運転をした人、そしてその人を止めなかった人々の責任でもあります。

飲酒運転は本人だけでなく、すべての人を危険にさらし、人生を大きく狂わせてしまうことになるのです。

どうか車を運転するすべての人が正しい判断をしてくれる世の中になる事を心から願うばかりです。

「私は自分の人生が大好き」顔面の崩壊が原因でいじめを受ける女の子。困難に立ち向かうその姿に涙が止まらない

世界には悲しいことに、自分と同じでないものを排除しようとする人がいます。

病気により顔面が崩壊した少女も、学校で壮絶ないじめの対象にされてきました。

大きくなる腫瘍、酷くなる顔の歪み、幾度にもわたる手術、どれをとっても彼女にとっては大きな苦痛となりましたが、中でも「いじめ」という体験が彼女を苦しみのどん底へと突き落とします。

しかしながらその中でも希望を捨てずに生きる少女。

彼女が世界中の人々へ向けたメッセージに深く考えさせられます。

崩壊の始まり

カナダ・ノヴァスコシア州に住むサラ・アトウェルさん。

小さい頃はとても明るく、どこにでもいる普通の女の子でした。

ところが大きくなっていくにつれ、サラの継父であるケニーはサラの顔面の右半分が少しずつ垂れ下がっているという事に気が付きます。

両親は娘を病院に連れて行き、精密な検査を受けることとなりました。

そして診断の結果、神経線維腫症を発症していることがわかったのです。

神経線維腫症とは、身体に骨,眼,神経系などに腫瘍や病変が生じる遺伝性の病気であり、サラの場合は顔に腫瘍が発生したことにより、顔の右半分が垂れ下が多状態になっていたのです。

手術により腫瘍を取り除くことは可能ですが、この時サラはまだ幼かったために手術を受けることができませんでした。

さらにサラの腫瘍は良性であったため、大きなリスクを伴う手術を敢行する必要はないという判断が下されたのです。

壮絶ないじめの対象に

しかしながらその後も更の顔にある腫瘍は大きくなり、サラの顔の歪みも大きくなり続けていきました。

そのことはサラに大きな苦しみを与え、心に暗い影を落とします。

なんと、顔のゆがみが原因となり学校で壮絶ないじめに遭うようになってしまったのです。

日常的にクラスメイトにからかわれ、仲間外れにされたというサラ。

しかもその6年間、教師はそれを見て見ぬふりをしていたのです。

サラはつい最近まで両親にいじめの事を言い出せずにいました。

ケニーは娘の苦痛がどれほどのものだったのかを推し量れずにいたことを、悔やんでも悔やみきれないといいます。

サラのメッセージ

苦しみを紛らわせようと、サラは詩を書き始めました。

サラにとって詩を書くことは、胸中の苦しみを外側へ吐き出すための表現方法となっていったのです。

そこでサラは、世界中の人々に向けたメッセージをFacebookに投稿しました、

「皆さんこんにちは!

私はサラです。

私は今16歳で、もうすぐ高校2年になります。

みんないつも私のことかわいいって言ってくれる。

私は常に笑顔です。

周りのみんなは、私がいつもハッピーだって思ってる。

でも、実際はそんなことない。

初めは確か私が小学校5年の頃だったと思う。そのときから、もう6年もずっといじめられている。

全てはこの見た目のおかげ。

:(

私は顔に腫瘍がある、ただそれだけなのに、みんなわかってくれない。

これまでに何度も手術を受けてきた。だけど、あまり見た目には変わりがないみたい。私には、信頼できる友だちは本当に数人しかいない。

みんなにわかってほしい。私は別におかしくないってことを。

いろんな悪口を言われた。バカ、アバズレ、顔デカ女、デブ、不細工。つらい。

必死に気にしないふりをしてるけど、簡単じゃない!

私はいつも目立たないように、静かにしている。

こんな見た目じゃなかったら、って思うこともある。そうしたらこんなにつらいこともなかったのに、ってね!

2010年、私は親友でもあり私のヒーローだった人を失くした。私の乳母をしてくれていた人。彼女は私のすべてだったし、唯一の親友だった。

でも、人生は素晴らしいと感じる日もある。

友だちや家族には感謝してる。みんな、大好きよ。

いつの日かいじめが止まってくれればって思うけど、それまでは私が強くならなきゃね!

観てくれてありがとう

私は自分の人生が大好き。じゃあね!」

勇気をもって自分の意思を世界へ示したサラに、多くの人が心を動かされました。

称賛や励ましのコメントが多く寄せられ、今ではクラスメイトでさえもサラに敬意をもって接してくれるようになったといいます。

17歳になったサラはついに腫瘍切除の手術を受け、幸せな人生を歩き始めました。

サラの強い意思と優しい心は、同じくいじめに遭っている人や病気を患っている人の大きな励みになっています。

【泣いた】「あの子なら命かけて守れる自信がある」継母が命を懸けて私にくれたもの

女の子が小学校2年生の頃、父親が再婚し新しいお母さんができました。

継母の事を嫌いではないけれども、なんだかギクシャクとした関係が続いてしまいます。

その現状を打開しようとした継母は、女の子を川遊びに誘いますが・・・。

女の子が継母からもらった大きなものに、思わず涙がこぼれます。

新しいお母さん

私がまだ小学2年の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。

特に苛められたとかそういうことはなかったんだけど、なんだか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べないでいた。

そんなぎくしゃくした関係だったけど、継母が私のために一生懸命だったことはよくわかってた。

小学校4年になった夏休み、私は継母の提案で二人で川に遊びに行くことになった。

あんまり気が進まなかったけど、断る理由もなく言われるままにしぶしぶついていった。

現地に着くやいなや、私は継母のことを放ったらかしで川に浸かって遊んだ。

しばらく水と戯れてた時、急に深みにはまって溺れて息が出来なくなった。

すごく苦しかった。

でもそのうち喉の奥が「クッ、クッ・・・」と鳴ってだんだん苦しくなくなってきて、意識が飛んだ。

気が付くと、私は病院のベッドで寝ていた。

救われた命

「一時心臓が止まって危なかったんだよ」と涙ぐんだ父が言ってた。

ベッドの傍に、継母はいなかった。

私は父に「あの人は?」と訊いた。

父は一呼吸置いてゆっくりとした口調で教えてくれた。

私が溺れた時に継母が服のまま飛び込んで私を助けてくれ、そのまま力尽きて下流まで流された。

その後、救助されたものの、今も意識が戻らないのだ、と。

私は次の日に継母のいる病室に行った。

継母は機械に囲まれて、いっぱい管をつけられていた。

彼女は、そのまま我が家に戻ってくることなく・・・。

継母がくれたもの

葬儀が終わって母の遺品を整理してたら、鍵のついた日記が出てきた。

私は父と一緒になんとか鍵を探し当てて、日記を読んだ。

そこには私との関係に悩む継母の苦悩など、私のことばかり書いてあった。

ずっと読み進めていくと最後のほうの日記に

「ちょっとはにかみ屋さんだけどとてもいい子。

あの子なら、命かけてでも守れる自信がある。

○○ちゃんを私に託してくれた△△(実母の名前)さん、本当にありがとうございます。」

継母は、あの日記を書いた数日後に命と引き換えに私を守ってくれた。

いつだってとても優しい目で私を見てくれていた。

いつも私の目線と同じ高さになるように中腰になって話し掛けてくれた。

そんな気持ちはちゃんと伝わってきてたのに私はあの人に何一つしなかった。

愛情をもらいっぱなしでそれに答えなかった。

私は愛情どころかあの人の命まで奪ってしまった。

私の「お母さん」

日記を読んではじめて、私は「お母さん!」と大声で叫びながら錯乱状態になり、声が出なくなるまで「ごめんね、ごめんね。」と言って泣いた。

ぐしゃぐしゃになって泣いても、後悔ばかりで気持ちは晴れなかった。

年月が過ぎても、私は未だに「母」に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

数十年経った今でも夏になるたびに思い出す。

(原文まま)

継母とは言えども、本当の子供のように愛してくれた女性。

新しくやってきたお母さんになじめないという少女の気持ちも痛いほどわかります。

とても悲しい形にはなってしまいましたが、少女を救ったことは天国の継母にとって誇りになっているのではないでしょうか。

不器用な親子の会いに思わず涙してしまうエピソードでした。

「3本目は○○の日に見せてあげてください」」病気の母が娘に残した3本のビデオ、亡き母がかける魔法に涙が止まらない

サキちゃんのお母さんは重い病気を患っており、その命はもう長くないことを知りました。

そこでまだ2歳の幼い娘、さきちゃんのために3本のビデオテープを残します。

それから数年後、亡き母が残された娘へとある魔法をかけました。

幼い娘を残さなければならなかった母、そして幼いながらに母に残されてしまったさきちゃんの想いを考えると胸が痛みます。

3本のビデオ

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。

その時、サキちゃんはまだ2歳。

「あなた、サキのためにビデオを3本残します。

 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。

 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)

「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。

 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。

 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。

 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。

 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。

 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。

 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!

 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに

3本目のビデオ

そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。

3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。

なつかしいママの顔が映し出された。

「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。

 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。

 ……

 サキちゃん。今日で本当にお別れです。

 ……

 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。

 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)

 ママ、もっと生きたい…。

 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。

 あなたの成長を見つめていたい…。

 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。

 それは、『ママを忘れる魔法』です。

 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。

 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」

そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。

パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。

天国のママに見てもらうために

(原文まま)

新しいお母さんができても、産んでくれた母が母であることには変わりません。

たとえ小さかったとしても、お母さんの愛は先ちゃんの胸の中に残っていたはずです。

さきちゃんが作った素敵なビデオ、お母さんはきっと天国で喜んでくれている事でしょう。

【泣いた】「日曜日っていつだか知ってる?」4歳の時に離婚した両親、約束の日曜に母の帰りを待ち続けた少女は・・・

少女がわずか4歳の時に両親が離婚。

家を出る母に「いつ帰ってくるの?」と聞くと、困った顔をした母は「日曜日かな?」と答えます。

離婚という意味さえも分からない幼い子供は、それから父の家で母を待ち続けました。

しかしいつまで経っても母が迎えに来ることはありませんでした。

その30年後に少女が母親になった時、息子は母に「ママを産んだのは誰?」と尋ねます。

「いつ帰ってくるの?」

私が4歳の時、父と母は離婚した。

祖父母と同居していたため父が私を引き取った。

母は出て行く日に私を実家に連れて行った。

家具や荷物がいっぱい置いてあって叔母の結婚の時と同じだったので

「わぁ、嫁入り道具みたいだねー」

と嬉しそうに言ったのを覚えている。

家に戻ると母はドアの所で

「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」

そう言った。

「いつ帰ってくるの?」

と聞くと困った顔をして少し黙り

「日曜日かな?」

と答えた。

疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。

日曜日がいつかも知らなかった。

訪れなかった日曜日

それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、玄関で待つ日々が続いた。

何回か繰り返したある日、母以外の家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。

「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」

食卓が凍り付いた。それまでの笑顔が全く消えてみなが押し黙って目を伏せた。

「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」

と笑いかけたが、誰1人笑ってはくれなかった。

それ以来、私はママの話しは絶対にしないようにして・・もう30年が経つ。結婚式にも呼ぼうとはしなかった。

今では1歳の娘と5歳の息子がいる。

先日、5歳の息子が

「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」

と聞いてきた。

「パパを産んだのはばぁばだよね? ママを産んだのは誰?」

「おばあちゃんよ、でもどこにいるかわかんないから会えないのよ」

「僕会いたいなぁ」

「どうして?」

そこまでは平気な受け答えだった。

「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」

(うん、会いたいねぇ)と言うはずだったのに涙が止らなくなってしまった。

ずっとずっと封印してきた言葉。

育てられないなら産まなきゃいいのにって思ったこともあった。

ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ。

(原文まま)

離婚という意味を理解できない幼い少女は、日曜日が来るのを心待ちにしていました。

しかし少女の元に日曜日がやってくることはありませんでした。

母親にも何かしらの事情があったのかもしれません。

ですがずっと母を心待ちにしていた少女の気持ちを思うと、心が痛みます。

同じ母親になった女性が、これから息子さんや娘さんと末永く幸せに暮らしてくれることを祈ります。

【警鐘】子供に人気のスーパーボールに潜む危険。4歳の男の子が事故発生からわずか16分で天国へ旅立つことに・・・

子供は時として親の予測を超えた行動を起こします。

これくらいは大丈夫だろうと思っていても、いとも簡単にその垣根を越えてきます。

今回ご紹介するのは、子供に人気のスーパーボールによって不慮の事故に遭ってしまった男の子のお話しです。

彼の母親は深い悲しみに包まれながらも、同じ子を持つ親へおもちゃの危険性を広めました。

誕生日パーティーの準備中に・・・

アルビー・デイビスくんに悲劇が起きたのは、もうすぐ4歳の誕生日を迎えるという時でした。

アルビーくんの母・アンナさんは、彼の誕生日パーティーの準備をしていました。

パーティーのお楽しみグッズとしてスーパーボールが用意され、その中の1つで遊んでいたアルビーくん。

そのとき幸せな時間は一転して、悪夢の時間になってしまったのです

アルビーくんから1mほど離れた場所にいたアンナさんは、彼の異変に気が付きすぐに駆け付けます。

そして息子を救いたい一心で、急いで心肺蘇生を行いました。

しかし残念なことに、彼女の大切な小さな男の子は母の腕の中で帰らぬ人となりました。

救急車が到着するまでのわずか16分の間に、アルビーくんは窒息死してしまったのです。

アルビーくんを亡くした両親は、訪れるはずだった彼の4歳の誕生日に泣き息子にメッセージを投稿しました。

アルビーへ


あなたは亡くなってしまったけど、今日私達はあなたの4回目のお誕生日を祝い、あなたを尊敬しています。

今朝、あなたのパパと私は、あなたの手をつないで、あなたの髪を撫でていました。

私は永遠にこうしていられたらいいのにと思っていました。

たくさんの涙で濡れても平気なようにあなたの小さな手首に防水時計を巻き、あなたの大好きなゴールドラメのマニキュアを爪に塗りました。

あなたと過ごした時間は決して十分ではなかったし、私たちの側からあなたが離れていくことは最も耐え難い痛みでした。

私たちの腕はたくさんのハグを欲しています。

私たちの耳は、あなたの笑い声が再び家の中を響き渡ることを願っています。

私たちの心は何百万という思い出によって粉々になっています。

私たちは泣いていますが、あなたと過ごした4年間でたくさんの愛をもらいました。

私たちは、あなたが私たちの生活にもたらした豊かな光に永遠に感謝します。

あなたの目標はいつもはるかに高かったことを知っています。

お誕生日おめでとう。

私たちはいつもあなたのことを想っています。

アンナさんの警告

息子を失うなんて、夫婦にとって心の準備が出来るはずもありません。

しかしアンナさんは、アルビーくんの死を意味のあるものにしようと同じ子を持つ母親に注意を呼びかけます。

実際に事故に遭ったボールをネットに投稿し、50セントコインよりもはるかに大きいボールであったことを訴えます。

更におもちゃの注意書きには『3歳以下の子供には使用させない』と書かれていましたが、アルビーくんはその年齢を超えていました。

しかしいくら表示に書いてあったとしても、いくら大丈夫だろうと思っていても、子供は我々の予想をはるかに超える行動をします。

アルビーくんの早すぎる死は、多くの親たちへ向けての強力な警告となっているのです。

アンナさんが世界へと発信したニュースはまたたく間にシェアされ、多くの人が小さい命の終わりに悲しみ、そして祈りを捧げました。

「最悪の悪夢が現実となって以来、家族が彼から受けた多くの愛に対する深い感謝を表現することは出来なくなってしまいました。

大きな悲しみの時に、あなたの考え、祈り、共感、涙は私達を包み、抱きしめてくれました。

あなた方の圧倒的な寛大さと支えに感謝してもしきれません。」

アルビーくんはこの写真が撮影された40分後に帰らぬ人となりました。

この小さく愛らしい少年のご冥福と、1日も早くご家族の心に平穏が訪れることをお祈りしています。

【泣いた】飲酒運転により愛する夫と息子を奪われた女性。1人残された彼女の悲痛な叫びに涙

飲酒運転のドライバーにより愛する夫と息子を同時に亡くし、1人取り残されてしまった女性。

これから続くはずだった幸せな時間をすべて奪われてしまったのです。

日本でも罰則が厳しくなる一方で、飲酒運転をするドライバーは後を絶ちません。

想像しがたい絶望と悲しみに暮れた女性の心からの叫びに、多くの人が涙を流しました。

これを見てもなお、あなたは飲酒運転をしますか?

幸せな家族

高校対抗のアメフト大会で出会った二人、デスティニーさんとコーレーさん。

運命の出会いを果たした2人はその3年後に結婚し、幸せな夫婦生活を送っていました。

しばらくして子宝にも恵まれ、息子のパーカー君が誕生します。

まだ若い家族には、家を購入したり、家族を増やしたりとこれからの夢がたくさんありました。

デスティニーさんは、夫のコーレーさんをこのように語っています。

「コーレーは面白くて、愛にあふれていて助けを必要としている人は必ず助けた。  

 私とコーレーは一日も離れてたことがなかった」

しかし結婚7年目をお祝いする予定を立てた直前、その幸せは音を立てて崩れ去ってしまったのです。

すべてはとある女性の愚かな行いによるものでした。

奪われた幸せ

デスティニーはFacebookにその時のことを綴った文章を投稿しました。

彼女の人生のすべてが変わってしまった一年前の今日、何も変わらない日常の中でそれは起きました。

(以下投稿より)

コーレー・マンティアが起きて仕事に行った後。

パーカーと私は家で、一日中一緒に遊んでいた。

コーレーが一度仕事から戻って来て、息子と遊びながら3人でボディ・ラッピング(発汗を促すダイエットスーツ、デスティニーとコーレーの副業)のお客さんとのアポまでの時間を潰していた。

うちの家計には必要な収入源だった。

その数分後に全てが変わってしまうなんて思わなかった。

私たちが一緒に夢見たことはもう叶うことはない。

一緒に小さな家を買うこともできない。

パーカーを初めての散髪に連れて行ってあげることもできない。

学校の初登校にだって。

そして私の家族はもうこれ以上大きくならない。

全て無くなった。

こんなこと全然求めていなかった。


車は、夫が運転していた。

後部席に座らせてた赤ちゃんは、楽しそうに「ミッキーマウス クラブハウス」のビデオを見ていた。

そして私たちは飲酒運転の乗用車に追突された。

この日付と、この時間をわたしは一生忘れない。

「大丈夫だろう」と思った身勝手な人間の行動が、後部座席にいた15か月の息子を即死させた。

事故現場から私たち夫婦はヘリで病院まで運ばれて、その24時間後には、夫が死んだ。

この女性は私の家族を壊し、救急隊員を精神的に痛めつけた。

その女の人が飲酒運転をしたことで、私は21才で未亡人になり、天使の母親になった。

さまざまなニュースが飛び交った。

息子の検視解剖の写真や、それを復元した画像が送られてきた。

21才の女の子が見るべき、想像すべきじゃないものだった。

彼女は私の夢を壊した、存在することさえ知らなかった痛みに苦しんだ。

あの日、母親で妻のデスティニーは死んだ。

あれ以来、私は自分を見つけなければならなかった。

自分にこんな力があるなんて思ってなかった。

多くの友達の祈りや支えがあったからこそ、その力を見つけることができたと思う。

未亡人の集まりにも参加して、この苦しみを抱いているのは私だけじゃないということが分かった。

辛かった。

私の家族のいない未来は、酔っぱらった身勝手な彼女を誰かが止めていたら防げたはず。

あなただって誰かの命を救える!

友達や家族に飲酒運転は絶対にさせないで。

飲酒検問所の位置を共有しないで。

支持者になって、私と一緒にやめさせよう!

犠牲になるのは1人の命だって、大きすぎる。

飲酒運転を止めて!

飲酒運転をしていた女性も事故で死亡しました。

彼女の遺族が、デスティニーに連絡を取ってきたことはありません。

デスティニーさんの心からの叫びに涙が止まりません。

ドライバーだけではなく、周囲の人間によっても飲酒運転を食い止めることはできるはずです。

これ以上犠牲者を出さないためにも、今私たちにできることは何なのか。

間接的であっても飲酒運転を助長するようなことはあってはならないのです。

「最後だとわかっていたなら」10歳で事故死した息子のために作られた”詩”に涙が止まらない

親にとって我が子は何にも代えがたい、世界で1番大切な存在ともいえるでしょう。

しかし、もし我が子との別れがやってきたら・・・。

ノーマ・コーネット・マレックという女性もまた、最愛の息子を事故により失いました。

あまりにも早すぎる別れに、ノーマさんは息子に伝えきれなかったすべての想いを綴ります。

これからご紹介するのは、そんなノーマさんの想いから生まれた一遍の詩です。

突然の別れ

ケンタッキー州ラインフォークで生まれたノーマさんは、美しい山々に囲まれた大自然の中で祖母に育てられました。

やがて大人になり結婚したノーマさんは2人の子宝に恵まれますが、幸せな生活が長く続くことはありませんでした。

夫との関係が破局を迎え、離婚することになったノーマさん。

なんとか愛する息子の親権を勝ち取ることができたのですが、元夫はその決定を無視し強引に息子たちを連れ去ってしまったのです。

息子たちを奪われたノーマさんは警察の協力を得て、2人の行方を必死に探し回りました。

それから2年もの歳月が流れたある日、ノーマさんは予期せぬ形で息子たちの消息を知ることになったのです。

愛する我が子の死

2年も探し続けた息子たちの行方・・・その知らせは何よりも嬉しいものとなるはずでした。

しかしノーマさんは突き付けられた現実に、深い絶望の淵に叩き落されます。

発見された息子の1人、長男であるサムエル君がこの世を去ったという知らせだったのです。

当時10歳だったサムエル君は溺れている小さな子供を助けようとし、逆に自らの命を落としてしまったといいます。

小さな子供を守ろうとした優しい少年の、あまりにも痛ましく、そしてあまりにも早すぎる死でした。

2年ぶりに再会した息子は、何を語ることも笑いかけてくれることももうないのです。

その後引き取った次男と共に暮らす日々の中で、サムエル君に伝えきれなかった想いを書き綴っていきました。

そして最愛の息子への想いが込められた詩に、多くの人が涙を流しました。

どうか子供がいる親御さんにも読んでもらい、何事もない子供との時間について何かを感じ取っていただきたいです。

「最後だとわかっていたなら」


「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

 
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

 
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

 
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

 
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

 
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 
そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

 
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

 
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

 
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

 
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

1989年に発表されたこの詩は、9.11同時多発テロの犠牲となった方々を弔う追悼集会やテレビなどで朗読されたことをきっかけに多くの人へと広まりました。

作者であるノーマさんは2003年に末期がんであることが発覚し、翌年2004年7月18日にその生涯を終えました。

世界に感動を与えてくれた女性詩人の早すぎる死。それは本来、悲しむべき出来事なのかもしれません。しかし僕は、ノーマさんの死を悲しむ気にはなれないのです。

なぜなら、きっと旅立ったノーマさんは天国で愛するサムエル君と再開し、生前に伝えきれなかった溢れる想いを伝えただろうと思うからです。

ありふれた言葉ではありますが、今誰かが隣にいてくれることは当たり前のことではありません。

子供だけでなく、親、彼氏、友達、夫、すべての関係において別れはいつやってくるのかわからないのです。

今という時間を共に過ごせるという事は大きな奇跡だという事を忘れずにいてほしいです。

「あなた達は早く逃げなさい!」血だらけの手で笑いかけてくれたお義母さん、震災が繋いだ家族の絆

これまで当たり前のようにあった幸せな時間を奪っていく震災。

東北や熊本、北海道など近年立て続けに地震が発生しており、いまだに復興されていない地域もあります。

しかしそんな震災で、これまで「心が通じ合ていない」と感じていた家族と新たな絆を見つけた女性がいました。

普段から喜怒哀楽を表さない姑ですが、未曽有の大震災に襲われたときに真の心根を目の当たりにしたのです。

姑と私

結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。

意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ

足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず

シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。

何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。

その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬に帰省する事になった。

そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。

阪神淡路大震災

朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。

食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。

名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。

私を抱きしめる腕も肩も頭も血が出ていた。

夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れだしてくれた。

歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。

義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり、階段にはヒビが入っていた。

呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。

廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。

姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。

泣きながら「あなた達って・・・お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。

足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。

夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら

姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」

そして血だらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。

姑の心根

結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を下りました。

避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。

マンションは数日後に全壊した。

避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。

初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。

未曾有の事態に母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで

痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が

「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。

避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。

あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。

福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。

同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。

ありがとう、おかあさん。あの時の血だらけの貴方を忘れません。

(原文まま)

真っ先に家族の事を考え行動を起こしたお義母さん。

普段は何も言わないけれど、お嫁さんの事も家族の一員だと心から思っていたのでしょう。

震災により多くの命が失われ、住む場所も奪われた人もいるでしょう。

そんな時だからこそ、今自分にできる事を考え行動を起こしたお義母さんに頭が下がる思いです。