【許せない】「SNSでいいねをもらうために…」自撮りをするために白鳥を湖から引きずり出した女性に批判殺到

SNSやスマートフォンの普及により新たな文化として定着してきた「自撮り」。

今その「自撮り」が世間でも問題視されつつあるのはご存知かと思います。

インターネットで自分を発信する中で、大きな注目を浴びたいという人が多くみられるようになってきました。

コンビニの冷蔵庫に入ってふざける様子をSNSに投稿したアルバイトの男性が損害賠償を請求されるなど、行き過ぎた行為により取り返しのつかないことになってしまうケースが多発しているのです。

そして悲しいことに、地球上にはこの自撮りに巻き込まれて命を落とした動物が多くいるのです。

世界遺産で起きた悲劇

ギリシャのマケドニア共和国の観光地でもあるオフリド湖でも、自撮りにより痛ましい事件が発生しました。

このオフリド湖はヨーロッパの中でも最古の湖とされており、観光スポットとしても人気。

「オフリド地域の自然・文化遺産」という形でユネスコ世界遺産にも登録されているほど美しい湖です。

渡り鳥が冬を越すための湿地もあり、白鳥などの渡り鳥が多く訪れる事でも有名なのですが・・・。

ブルガリア人の女性は自撮りを撮ってSNSにアップするため、信じられない行動を起こしたのです。

許されない行動

白鳥の首を掴み、無理やり湖から引きずり出しているこの女性。

彼女はオフリド湖に観光で来ていたブルガルア人で、白鳥と一緒に自撮りをしようとしていたのです。

その様子を目撃した人はすぐさまこの様子を撮影します。

女性のおぞましいほどの笑顔から、一切の悪気を感じることができません。

その後、周囲からの批判の声と冷たい視線に気が付いた女性は、すぐに白鳥から手を離します。

しかしながら、白鳥は自力で湖に戻ることはできず、そのまま亡くなってしまったと地元紙により伝えられました。

白鳥はただそこで泳いでいただけ、なんの罪があって殺されなくてはならなかったのでしょう。

動物は人間のおもちゃではありません。人間と同じ命を持ち、心を持った生き物なのです。

その尊い命よりも優先されるものなどあるはずがありません。

今回のような事件のほかにも、SNSのためだけに食べ物を写真だけ撮って捨てたりと、小さい子供でも理解できていることを平気でしている大人がいるのです。

ネットモラル以前に、人間としてのモラルを今一度考え直してください。

その自撮り写真、本当に必要ですか?

【驚愕】墓場に住み着いた瀕死の犬たち。地獄のような環境から150匹の犬を救ったのは1人の女性でした

フィリピンのとある場所にある墓地。

そこには今にも餓死寸前の犬たちが大量に住み着いていました。

フィリピンでは「犬を飼う」という認識が日本とは違い、放し飼いは当たり前、食べ物も犬が自力で見つけてくることが多いそうです。

この墓地には、誰かに飼われているつもりの犬たちが集まり地獄絵図と化していました。

墓地に住み着いた犬たち

この墓地には実に150匹以上もの犬たちが住み着いていました。

そのほとんどの犬が痩せ細り飢餓状態にあり、更には皮膚病を患い体毛が抜け落ちてしまっています。

数年前、地域の動物レスキューグループの創設者であるアシュリー・フォンノさんは偶然この場所を通りかかりました。

その当時の事汚アシュリーさんはこのように振り返ります。

「初めのこの場所を目にした時のことは、なんと表現したらいいのか・・・。

現実の世界とは思えませんでした。

ここは地獄じゃないか、ってそんな印象を受けたんです。」

アシュリーさんはこの現状を打破すべくチームメンバーと共に立ち上がりました。

犬のケアをスタート

まだ夜明け前の気温が上がらないうちに、アシュリーさんとチームメンバーとで犬たちを散歩させることにしました。

到着した彼女が遠目に見えると、犬たちは一目散に駆け寄ってきてじゃれつく姿も見られました。

アシュリーさんに発見された犬たちは、食事だけではなく必要な医療的処置やその他のケアも受けられるようになったのです。

しかしアシュリーさんの使命はこれだけでは終わりません。

「フィリピンでは、犬の飼い主になるという概念はとても曖昧です。

週に一度しかエサを与えていなくても、その人はその犬を飼っているつもりでいるのです。

この国では、犬と人間は自然に共存するものであって、犬たちは放し飼いはもちろんのこと、エサも自力で見つけているケースがほとんどです。」

ここに住み着いた犬たちが、正しい飼い主に見つけられペットとして可愛がられるようにする必要がありました。

そのためにはまず、我々人間の意識から変えていかなければなりません。

そこで彼女は、地域に住む小さな子供たちに目を向けたのです。

犬に対する意識改革

「地域に貢献し、地域を改善するために一番重要なのは、このような小さな子ども達を取り込むことです。

彼らは新しいことを吸収する天才ですから。

子ども達が何かを学ぶと、それはその家族に影響を及ぼします。

私たちが直接大人たちに何かを教えようとするより、ずっとうまくいくんです。」

彼女は小さな子供たちを集め、犬への接し方や必要なケア、そして命を飼うことについての話を繰り返しおこないました。

こうして職員やボランティア、そして子供たちの力によって、この墓地周辺に暮らす人々の犬に対する向き合い方に変化がみられるようになりました。

犬へ対する想い

フィリピンの中でも貧困な地域に位置するこの墓地では、人々が犬の生活にまで手を出すことは簡単な事ではありません。

アシュリーさんは地域の人とも触れ合う中で、そのことについて痛感したといいます。

「人々の生活が過酷だと、動物たちの生活はさらに過酷になるということを、この国で学びました。

ここに生きる人々の生活は、私たちが想像できないくらい困難なものです。」

それでもアシュリーさんの地道な活動は徐々に身を結んでいきます。

地元の人がボランティアとして定期的にえさを持ってきてくれたり、散歩に連れ出してくれるようになったのです。

彼女とチームメンバーの活動を傍で見守りながら育った子供たちは、犬を「ただそこに存在するもの」としてではなく「大切なパートナー」として扱ってくれるようになりました。

「犬に水を与えたり、私たちが提供したシャンプーを使って洗ってやったり、子ども達が犬を散歩させたり、胸に抱えて撫でてやったり・・・。

これまでは考えられなかったような光景が見られるようになりました。」

と嬉しそうに話すアシュリーさんは、更に驚くべき行動にまで乗り出したのです。

クリスマスプレゼント

アシュリーさんたちの活動はこれだけにとどまりません。

なんと地域に住む子供たちのために、500個ものクリスマスプレゼントを用意したのです。

中には動物との心を通わせるような絵本やお菓子、学用品、おもちゃ、せっけんなどが詰められていました。

地域の貧困がなくなればおのずと犬への考え方も変わるかもしれないと考えたのでしょう。

「自分ができることを誰かのために精一杯やる。

それだけで、世界はずっとずっと良い方向へ向かっていくと私は信じています。

私たちはただ自分たちにできることを、精一杯やっているだけなんです。」

地道な努力でコミュニティ全体に変革をもたらしたアシュリーさん。

彼女のおかげで救われた犬や人が、いつまでも笑い合える地域になるといいですね。

「3本目は○○の日に見せてあげてください」」病気の母が娘に残した3本のビデオ、亡き母がかける魔法に涙が止まらない

サキちゃんのお母さんは重い病気を患っており、その命はもう長くないことを知りました。

そこでまだ2歳の幼い娘、さきちゃんのために3本のビデオテープを残します。

それから数年後、亡き母が残された娘へとある魔法をかけました。

幼い娘を残さなければならなかった母、そして幼いながらに母に残されてしまったさきちゃんの想いを考えると胸が痛みます。

3本のビデオ

サキちゃんのママは重い病気と闘っていたが、死期を悟ってパパを枕元に呼んだ。

その時、サキちゃんはまだ2歳。

「あなた、サキのためにビデオを3本残します。

 このビデオの1本目は、サキの3歳の誕生日に。2本目は小学校の入学式に。

 そして3本目は…○○○の日に見せてあげてください」

まもなく、サキちゃんのママは天国へと旅立った。

そして、サキちゃんの3歳の誕生日。1本目のビデオがかけられた。

(ビデオからつないだテレビ画面に、病室のママが映し出される)

「サキちゃん、お誕生日おめでとう。ママ、うれしいなぁ。

 でもママはね、テレビの中に引っ越したの。だから、こうやってしか会えない。

 パパの言うことをよく聞いて、おりこうさんでいてね。だったら、ママ、また会いに来ます」

サキちゃんの小学校入学の日。2本目のビデオ。

「サキちゃん、大きくなったネ。おめでとう……。ママ、うれしいな。どんなにこの日を待っていたか。

 サキちゃん、ちゃんと聞いてね。

 ママが今住んでいるところは、天国なの。だから、もう会えない。

 でもね、パパのお手伝いがちゃんとできたら、ママ、もう一回だけ、会いに来ます。

 じゃあ、魔法をかけるよ。 エイッ!

 ほうら、サキちゃんは料理や洗濯ができるようになりました」

そして3本目のビデオ。そのタイトルは、こう書いてあった。

新しいママが来た日のサキちゃんに

3本目のビデオ

そしてサキちゃんが10歳の時、パパは再婚し、新しいママが来た。

3人いっしょに、3本目のビデオを見つめた。

なつかしいママの顔が映し出された。

「サキちゃん、おうちの仕事、がんばったね。えらかったね。

 でも、もう大丈夫。新しいママが来たんだから。

 ……

 サキちゃん。今日で本当にお別れです。

 ……

 サキちゃん、今、身長はどれくらい?ママには見えない。

 (泣き崩れ、カメラを抱え込む姿が映る)

 ママ、もっと生きたい…。

 あなたのために、おいしいものいっぱいつくってあげたい…。

 あなたの成長を見つめていたい…。

 じゃあ、サキちゃん、これがママの最後の魔法です。

 それは、『ママを忘れる魔法』です。

 ママを忘れて、パパと、新しいママと、楽しい暮らしをつくってください。

 では、魔法をかけます。1、2、3、ハイッ!」

そこでビデオは終わった。

しかし、サキちゃんに、この魔法は効かなかった。

パパと、新しいママにも効かなかった。

ママは、みんなの心の中に、ちゃんと残っていた。

そして今度は、サキちゃんが主役の、4本目のビデオがつくられたのだった。

天国のママに見てもらうために

(原文まま)

新しいお母さんができても、産んでくれた母が母であることには変わりません。

たとえ小さかったとしても、お母さんの愛は先ちゃんの胸の中に残っていたはずです。

さきちゃんが作った素敵なビデオ、お母さんはきっと天国で喜んでくれている事でしょう。

【泣いた】「日曜日っていつだか知ってる?」4歳の時に離婚した両親、約束の日曜に母の帰りを待ち続けた少女は・・・

少女がわずか4歳の時に両親が離婚。

家を出る母に「いつ帰ってくるの?」と聞くと、困った顔をした母は「日曜日かな?」と答えます。

離婚という意味さえも分からない幼い子供は、それから父の家で母を待ち続けました。

しかしいつまで経っても母が迎えに来ることはありませんでした。

その30年後に少女が母親になった時、息子は母に「ママを産んだのは誰?」と尋ねます。

「いつ帰ってくるの?」

私が4歳の時、父と母は離婚した。

祖父母と同居していたため父が私を引き取った。

母は出て行く日に私を実家に連れて行った。

家具や荷物がいっぱい置いてあって叔母の結婚の時と同じだったので

「わぁ、嫁入り道具みたいだねー」

と嬉しそうに言ったのを覚えている。

家に戻ると母はドアの所で

「おばあちゃんちに又行かなきゃいけないの」

そう言った。

「いつ帰ってくるの?」

と聞くと困った顔をして少し黙り

「日曜日かな?」

と答えた。

疑いもせずに私は笑顔で手を振って送り出した。

日曜日がいつかも知らなかった。

訪れなかった日曜日

それから私は祖母に日曜日がいつかを聞いては、玄関で待つ日々が続いた。

何回か繰り返したある日、母以外の家族全員が揃う夕食の時間に私は聞いてみた。

「あのね、ママが帰ってくる日曜日っていつだか知ってる?」

食卓が凍り付いた。それまでの笑顔が全く消えてみなが押し黙って目を伏せた。

「私、うっかり聞くのを忘れちゃったのよー」

と笑いかけたが、誰1人笑ってはくれなかった。

それ以来、私はママの話しは絶対にしないようにして・・もう30年が経つ。結婚式にも呼ぼうとはしなかった。

今では1歳の娘と5歳の息子がいる。

先日、5歳の息子が

「ねぇ、妹と僕を産んだのはお母さんだよね?」

と聞いてきた。

「パパを産んだのはばぁばだよね? ママを産んだのは誰?」

「おばあちゃんよ、でもどこにいるかわかんないから会えないのよ」

「僕会いたいなぁ」

「どうして?」

そこまでは平気な受け答えだった。

「ママを産んでくれてありがとうって言わなきゃ!」

(うん、会いたいねぇ)と言うはずだったのに涙が止らなくなってしまった。

ずっとずっと封印してきた言葉。

育てられないなら産まなきゃいいのにって思ったこともあった。

ありがとう息子。私はやっと素直になれそうだ。

(原文まま)

離婚という意味を理解できない幼い少女は、日曜日が来るのを心待ちにしていました。

しかし少女の元に日曜日がやってくることはありませんでした。

母親にも何かしらの事情があったのかもしれません。

ですがずっと母を心待ちにしていた少女の気持ちを思うと、心が痛みます。

同じ母親になった女性が、これから息子さんや娘さんと末永く幸せに暮らしてくれることを祈ります。

【ほっこり】お風呂場から赤ちゃんの叫び声が!!何事かと思い駆け付けるとそこには・・・

お風呂場から突然聞こえた我が子の叫び声。

「ダーーーディーーー!!」

と自分の助けを求める声に、お父さんは何事かと急いでお風呂場へ駆けつけました。

転んで怪我でもしてしまったのか、はたまた溺れてしまったのか・・・。

我が子の異常事態を察知しお風呂場へ駆けつけたお父さんを待ち受けていたのは、思いもよらない光景だったのです。

お風呂場から叫び声

お風呂に到着したお父さん。

見る限り、転んだわけでも溺れてしまったわけでもなさそうでひとまず安心です。

しかし、それでもなお泣き叫び続ける我が子。

それもカメラの右側に視線を向けては何かにおびえている様子を見せています。

「赤ちゃんには大人には見えないものが見える」

こんなこともよく耳にしますが、もしかして我が子にも何か霊的なものが見えているのでしょうか・・・?

その視線の先にカメラを向けてみると、そこには・・・。

赤ちゃんの視線の先には

赤ちゃんの視線の先にあったもの、その正体がコチラです。

なんと、パックで顔が青白くなったお母さん・・・。

場合によっては大人でも恐怖を感じてしまうその表情、赤ちゃんにとってはなおさらですよね(笑)

パックをして満面の笑みを浮かべるお母さんに、ジワジワと恐怖がこみ上げてきます。

お父さんが「これはママだよ」と教えてあげてもやっぱり泣き続けていました。

この赤ちゃんの可愛らしい反応に、動画を見た人からはたくさんのコメントが寄せられました。

・彼女が私のところで泥マスクをつけて微笑んでも、私は怖いだろう

・ああ、彼はとてもかわいいです

・私も顔を見ながら泣いていました。それは恐ろしいです。

・バスルームにはモンスターが!

赤ちゃんからしたら笑い事ではないと思いますが、思わずほっこりしてしまう映像でした。

みなさんもお家でパックをする際は十分にお気を付けください(笑)

【警鐘】子供に人気のスーパーボールに潜む危険。4歳の男の子が事故発生からわずか16分で天国へ旅立つことに・・・

子供は時として親の予測を超えた行動を起こします。

これくらいは大丈夫だろうと思っていても、いとも簡単にその垣根を越えてきます。

今回ご紹介するのは、子供に人気のスーパーボールによって不慮の事故に遭ってしまった男の子のお話しです。

彼の母親は深い悲しみに包まれながらも、同じ子を持つ親へおもちゃの危険性を広めました。

誕生日パーティーの準備中に・・・

アルビー・デイビスくんに悲劇が起きたのは、もうすぐ4歳の誕生日を迎えるという時でした。

アルビーくんの母・アンナさんは、彼の誕生日パーティーの準備をしていました。

パーティーのお楽しみグッズとしてスーパーボールが用意され、その中の1つで遊んでいたアルビーくん。

そのとき幸せな時間は一転して、悪夢の時間になってしまったのです

アルビーくんから1mほど離れた場所にいたアンナさんは、彼の異変に気が付きすぐに駆け付けます。

そして息子を救いたい一心で、急いで心肺蘇生を行いました。

しかし残念なことに、彼女の大切な小さな男の子は母の腕の中で帰らぬ人となりました。

救急車が到着するまでのわずか16分の間に、アルビーくんは窒息死してしまったのです。

アルビーくんを亡くした両親は、訪れるはずだった彼の4歳の誕生日に泣き息子にメッセージを投稿しました。

アルビーへ


あなたは亡くなってしまったけど、今日私達はあなたの4回目のお誕生日を祝い、あなたを尊敬しています。

今朝、あなたのパパと私は、あなたの手をつないで、あなたの髪を撫でていました。

私は永遠にこうしていられたらいいのにと思っていました。

たくさんの涙で濡れても平気なようにあなたの小さな手首に防水時計を巻き、あなたの大好きなゴールドラメのマニキュアを爪に塗りました。

あなたと過ごした時間は決して十分ではなかったし、私たちの側からあなたが離れていくことは最も耐え難い痛みでした。

私たちの腕はたくさんのハグを欲しています。

私たちの耳は、あなたの笑い声が再び家の中を響き渡ることを願っています。

私たちの心は何百万という思い出によって粉々になっています。

私たちは泣いていますが、あなたと過ごした4年間でたくさんの愛をもらいました。

私たちは、あなたが私たちの生活にもたらした豊かな光に永遠に感謝します。

あなたの目標はいつもはるかに高かったことを知っています。

お誕生日おめでとう。

私たちはいつもあなたのことを想っています。

アンナさんの警告

息子を失うなんて、夫婦にとって心の準備が出来るはずもありません。

しかしアンナさんは、アルビーくんの死を意味のあるものにしようと同じ子を持つ母親に注意を呼びかけます。

実際に事故に遭ったボールをネットに投稿し、50セントコインよりもはるかに大きいボールであったことを訴えます。

更におもちゃの注意書きには『3歳以下の子供には使用させない』と書かれていましたが、アルビーくんはその年齢を超えていました。

しかしいくら表示に書いてあったとしても、いくら大丈夫だろうと思っていても、子供は我々の予想をはるかに超える行動をします。

アルビーくんの早すぎる死は、多くの親たちへ向けての強力な警告となっているのです。

アンナさんが世界へと発信したニュースはまたたく間にシェアされ、多くの人が小さい命の終わりに悲しみ、そして祈りを捧げました。

「最悪の悪夢が現実となって以来、家族が彼から受けた多くの愛に対する深い感謝を表現することは出来なくなってしまいました。

大きな悲しみの時に、あなたの考え、祈り、共感、涙は私達を包み、抱きしめてくれました。

あなた方の圧倒的な寛大さと支えに感謝してもしきれません。」

アルビーくんはこの写真が撮影された40分後に帰らぬ人となりました。

この小さく愛らしい少年のご冥福と、1日も早くご家族の心に平穏が訪れることをお祈りしています。

【泣いた】飲酒運転により愛する夫と息子を奪われた女性。1人残された彼女の悲痛な叫びに涙

飲酒運転のドライバーにより愛する夫と息子を同時に亡くし、1人取り残されてしまった女性。

これから続くはずだった幸せな時間をすべて奪われてしまったのです。

日本でも罰則が厳しくなる一方で、飲酒運転をするドライバーは後を絶ちません。

想像しがたい絶望と悲しみに暮れた女性の心からの叫びに、多くの人が涙を流しました。

これを見てもなお、あなたは飲酒運転をしますか?

幸せな家族

高校対抗のアメフト大会で出会った二人、デスティニーさんとコーレーさん。

運命の出会いを果たした2人はその3年後に結婚し、幸せな夫婦生活を送っていました。

しばらくして子宝にも恵まれ、息子のパーカー君が誕生します。

まだ若い家族には、家を購入したり、家族を増やしたりとこれからの夢がたくさんありました。

デスティニーさんは、夫のコーレーさんをこのように語っています。

「コーレーは面白くて、愛にあふれていて助けを必要としている人は必ず助けた。  

 私とコーレーは一日も離れてたことがなかった」

しかし結婚7年目をお祝いする予定を立てた直前、その幸せは音を立てて崩れ去ってしまったのです。

すべてはとある女性の愚かな行いによるものでした。

奪われた幸せ

デスティニーはFacebookにその時のことを綴った文章を投稿しました。

彼女の人生のすべてが変わってしまった一年前の今日、何も変わらない日常の中でそれは起きました。

(以下投稿より)

コーレー・マンティアが起きて仕事に行った後。

パーカーと私は家で、一日中一緒に遊んでいた。

コーレーが一度仕事から戻って来て、息子と遊びながら3人でボディ・ラッピング(発汗を促すダイエットスーツ、デスティニーとコーレーの副業)のお客さんとのアポまでの時間を潰していた。

うちの家計には必要な収入源だった。

その数分後に全てが変わってしまうなんて思わなかった。

私たちが一緒に夢見たことはもう叶うことはない。

一緒に小さな家を買うこともできない。

パーカーを初めての散髪に連れて行ってあげることもできない。

学校の初登校にだって。

そして私の家族はもうこれ以上大きくならない。

全て無くなった。

こんなこと全然求めていなかった。


車は、夫が運転していた。

後部席に座らせてた赤ちゃんは、楽しそうに「ミッキーマウス クラブハウス」のビデオを見ていた。

そして私たちは飲酒運転の乗用車に追突された。

この日付と、この時間をわたしは一生忘れない。

「大丈夫だろう」と思った身勝手な人間の行動が、後部座席にいた15か月の息子を即死させた。

事故現場から私たち夫婦はヘリで病院まで運ばれて、その24時間後には、夫が死んだ。

この女性は私の家族を壊し、救急隊員を精神的に痛めつけた。

その女の人が飲酒運転をしたことで、私は21才で未亡人になり、天使の母親になった。

さまざまなニュースが飛び交った。

息子の検視解剖の写真や、それを復元した画像が送られてきた。

21才の女の子が見るべき、想像すべきじゃないものだった。

彼女は私の夢を壊した、存在することさえ知らなかった痛みに苦しんだ。

あの日、母親で妻のデスティニーは死んだ。

あれ以来、私は自分を見つけなければならなかった。

自分にこんな力があるなんて思ってなかった。

多くの友達の祈りや支えがあったからこそ、その力を見つけることができたと思う。

未亡人の集まりにも参加して、この苦しみを抱いているのは私だけじゃないということが分かった。

辛かった。

私の家族のいない未来は、酔っぱらった身勝手な彼女を誰かが止めていたら防げたはず。

あなただって誰かの命を救える!

友達や家族に飲酒運転は絶対にさせないで。

飲酒検問所の位置を共有しないで。

支持者になって、私と一緒にやめさせよう!

犠牲になるのは1人の命だって、大きすぎる。

飲酒運転を止めて!

飲酒運転をしていた女性も事故で死亡しました。

彼女の遺族が、デスティニーに連絡を取ってきたことはありません。

デスティニーさんの心からの叫びに涙が止まりません。

ドライバーだけではなく、周囲の人間によっても飲酒運転を食い止めることはできるはずです。

これ以上犠牲者を出さないためにも、今私たちにできることは何なのか。

間接的であっても飲酒運転を助長するようなことはあってはならないのです。

「最後だとわかっていたなら」10歳で事故死した息子のために作られた”詩”に涙が止まらない

親にとって我が子は何にも代えがたい、世界で1番大切な存在ともいえるでしょう。

しかし、もし我が子との別れがやってきたら・・・。

ノーマ・コーネット・マレックという女性もまた、最愛の息子を事故により失いました。

あまりにも早すぎる別れに、ノーマさんは息子に伝えきれなかったすべての想いを綴ります。

これからご紹介するのは、そんなノーマさんの想いから生まれた一遍の詩です。

突然の別れ

ケンタッキー州ラインフォークで生まれたノーマさんは、美しい山々に囲まれた大自然の中で祖母に育てられました。

やがて大人になり結婚したノーマさんは2人の子宝に恵まれますが、幸せな生活が長く続くことはありませんでした。

夫との関係が破局を迎え、離婚することになったノーマさん。

なんとか愛する息子の親権を勝ち取ることができたのですが、元夫はその決定を無視し強引に息子たちを連れ去ってしまったのです。

息子たちを奪われたノーマさんは警察の協力を得て、2人の行方を必死に探し回りました。

それから2年もの歳月が流れたある日、ノーマさんは予期せぬ形で息子たちの消息を知ることになったのです。

愛する我が子の死

2年も探し続けた息子たちの行方・・・その知らせは何よりも嬉しいものとなるはずでした。

しかしノーマさんは突き付けられた現実に、深い絶望の淵に叩き落されます。

発見された息子の1人、長男であるサムエル君がこの世を去ったという知らせだったのです。

当時10歳だったサムエル君は溺れている小さな子供を助けようとし、逆に自らの命を落としてしまったといいます。

小さな子供を守ろうとした優しい少年の、あまりにも痛ましく、そしてあまりにも早すぎる死でした。

2年ぶりに再会した息子は、何を語ることも笑いかけてくれることももうないのです。

その後引き取った次男と共に暮らす日々の中で、サムエル君に伝えきれなかった想いを書き綴っていきました。

そして最愛の息子への想いが込められた詩に、多くの人が涙を流しました。

どうか子供がいる親御さんにも読んでもらい、何事もない子供との時間について何かを感じ取っていただきたいです。

「最後だとわかっていたなら」


「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦

 
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

 
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

 
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

 
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

 
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

 
そして わたしたちは 忘れないようにしたい

 
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

 
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

 
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

 
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

 
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

1989年に発表されたこの詩は、9.11同時多発テロの犠牲となった方々を弔う追悼集会やテレビなどで朗読されたことをきっかけに多くの人へと広まりました。

作者であるノーマさんは2003年に末期がんであることが発覚し、翌年2004年7月18日にその生涯を終えました。

世界に感動を与えてくれた女性詩人の早すぎる死。それは本来、悲しむべき出来事なのかもしれません。しかし僕は、ノーマさんの死を悲しむ気にはなれないのです。

なぜなら、きっと旅立ったノーマさんは天国で愛するサムエル君と再開し、生前に伝えきれなかった溢れる想いを伝えただろうと思うからです。

ありふれた言葉ではありますが、今誰かが隣にいてくれることは当たり前のことではありません。

子供だけでなく、親、彼氏、友達、夫、すべての関係において別れはいつやってくるのかわからないのです。

今という時間を共に過ごせるという事は大きな奇跡だという事を忘れずにいてほしいです。

【感動】てんかん発作により記憶喪失になった女性。忘れられた交際相手の深い愛情が再び奇跡を起こす

イギリスに暮らす交際7ヶ月のカップルに起きた悲劇。

突然てんかんの発作に倒れた彼女は記憶を失ってしまい、これまでに起きたすべての出来事や家族でさえも思い出すことができなくなってしまったのです。

当然交際相手の存在すらも思い出せない彼女でしたが、彼の深い愛情によりとても素敵な奇跡が起こりました。

そこにはたとえ記憶を失おうとも、切手は切れない真実の愛があったのです。

イギリスに暮らすカップル

イギリス・ケント州のタンブリッジ・ウェルズに暮らす20歳の女性、ジェシカ・シャーマンさん。

14歳の頃から「てんかん」を患っていた彼女ですが、恋人であるリチャード・ビショップさんと幸せな生活を送っていました。

しかし交際開始からわずか7ヶ月が経った頃、ジェシカをてんかんの発作が襲います。

同じ職場で働く2人は、この日もいつもと同じようにロンドン行の電車へ乗っていました。

そこで突然てんかんの発作を起こしてしまったジェシカさん。

リチャードさんはなんとかジェシカさんを会社に連れて行き、彼女の両親を呼び出しました。

ところがジェシカさんはこのときすべての記憶を失っており、恋人や家族をはじめ、自分の顔すら思い出すことができなくなってしまったのです。

駆け付けた両親と対面してもなお、その記憶が戻ることはありませんでした。

発作が原因で起こる健忘症

これまでにも何度かてんかんの発作を起こしてきたジェシカさんでしたが、記憶を失ってしまうのは初めての事でした。

ジェシカさんの両親は彼女に過去の写真を見せたものの、見知らぬ他人としか思えなかったそうです。

親身にサポートしてくれるリチャードさんに対しても、最初は恐怖感と嫌悪感が強かったといいます。

両親はジェシカさんを、ロンドンの神経内科と脳神経外科が揃う国営病院へと連れて行きました。

およそ1週間の検査入院により「発作が原因で起こる健忘症」と診断されたジェシカさん。

医師からはもし記憶が戻ることがあっても少なくとも半年はかかる事、そして50%の確率で再びすべての記憶を失ってしまう可能性がある事を告げられます。

これまでの幸せな生活から一変、通常の社会生活を送れるかどうかもわからないと宣告されてしまったのです。

真実の愛

記憶を失くし「見知らぬ人」となってしまったリチャードさん。

ジェシカさんは彼に別れを切り出しますが、それでも彼が諦めることはありませんでした。

ジェシカさんの両親がジェシカさんに料理や好きだったテレビ番組を教えたりとサポートするように、リチャードさんも愛する人にもう一度自分のことを思い出してもらおうと根気強くジェシカさんを支え続けたのです。

ジェシカさんは恋人のリチャードさんのことを次のように語ります。

リチャードはふたりがお気に入りだったというレストランにも連れて行ってくれました。

そして私たちが過去、どのような交際をしていたかを全部話してくれたのです。

彼はとても我慢強く、情熱的に私を支えてくれています。

初めて彼に恋したことは忘れてしまいましたが、2回目、彼と恋に落ちたことははっきりと覚えています。

いまだに記憶は戻らないながらも、再びリチャードさんと恋に落ちたジェシカさん。

まさに真実の愛で結ばれた運命の2人ともいえるでしょう。

失われた記憶がいつ、どのように戻るのかは誰にもわかりません。

ですが彼女は多くの人に支えられながら、新しくコールセンターの仕事にも付き、徐々に自信を取り戻していっているそうです。

たとえ大きな困難が2人を引き裂くことがあったとしても、この2人ならば何度でも巡り合うことができるでしょう。

「あなた達は早く逃げなさい!」血だらけの手で笑いかけてくれたお義母さん、震災が繋いだ家族の絆

これまで当たり前のようにあった幸せな時間を奪っていく震災。

東北や熊本、北海道など近年立て続けに地震が発生しており、いまだに復興されていない地域もあります。

しかしそんな震災で、これまで「心が通じ合ていない」と感じていた家族と新たな絆を見つけた女性がいました。

普段から喜怒哀楽を表さない姑ですが、未曽有の大震災に襲われたときに真の心根を目の当たりにしたのです。

姑と私

結婚当初、姑と上手く噛み合わなくて、会うと気疲れしていた。

意地悪されたりはしなかったけど、気さくで良く大声で笑う実母に比べ

足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は、喜怒哀楽を直接表現せず

シャキシャキ・パキパキ黙々って感じで、ついこっちも身構えてしまっていた。

何となく「私、あまり好かれてないな」と思う時も有って、当たり障りなくつき合っていた。

その年は、私が秋に二人目を出産した事もあり、混雑を避けて一月中旬に帰省する事になった。

そして早朝、今まで感じたことの無い揺れと衝撃を感じた。阪神淡路大震災だった。

阪神淡路大震災

朝釣りに行くという夫達の為に、お弁当と朝食を作っていた私と姑は立っていること出来ずに座り込んだ。

食器棚が空いて、次々と皿やグラスが降ってきた。

名前を呼ばれた気がして目を開けると、姑が私に覆い被さっていた。

私を抱きしめる腕も肩も頭も血が出ていた。

夫と舅が子供達を抱いて台所に飛び込んできて、私達を廊下に連れだしてくれた。

歪んでなかなか開かない玄関ドアを開けると、街の景色は一変していた。

義実家はマンションの高層階だったが、エレベーターは止まり、階段にはヒビが入っていた。

呆然とする間にも、大きな余震が襲ってきた。

廊下の壁にも大きな亀裂が入り、揺れが襲う度に何かガラガラと大きな物が落ちていく音がした。

姑が「あなた達は早く逃げなさい!」と部屋に戻り皆の上着やマフラーを持ってきた。

泣きながら「あなた達って・・・お義母さんは?」と聞くと「後で逃げるから、良いから早く!」と恐い顔で言われた。

足が悪くて階段では逃げられない自分は、足手まといになると思っているんだと分かった。

夫が「母親を見捨てて逃げたら、俺はもう子供達に顔向けできない」と姑を背負おうとしたら

姑が夫をひっぱたいた「あんたの守るのは子供と嫁!産後で完全じゃない嫁を幼子二人を守ることだけ考えなさい!」

そして血だらけの手で、私の髪を撫でて「ごめんね。帰省させなきゃ良かったね。ゴメンね」と笑った。

姑の心根

結局舅が姑を連れて、後から逃げると説得され、私達夫婦は子供二人と先に階段を下りました。

避難所で無事に再会出来たときは、安堵のあまり「おうおうおう」と言葉にならない声で抱きついて泣いた。

マンションは数日後に全壊した。

避難所で再会して気が付いたが、姑は家族の上着を持って来てくれたが自分はセーターにエプロンという服装だった。

初めから、皆だけ逃がすつもりだったんだと思ったら、また泣いた。

未曾有の事態に母乳が出なくなったり、出ても詰まったり色が変だったりで

痛くて脂汗を流しながら、マッサージをしていると、産婦人科にいた事もある姑が

「熱を持ってるね。痛いね。でも出さないともっと痛いから。代わってあげられなくてゴメンね」と泣きながらマッサージを手伝ってくれた。

避難所では「ブランクがあって、知識が古いけど」と看護士として働いて、まわりを元気づけていた。

あの時、赤ん坊だった下の子はもう高校生で、舅は既に他界した。

福島の震災をみていると、どうしても阪神地震を思い出してしまう。

同居の姑は、今も喜怒哀楽をあまり出さないけど、今では何を考えているかちゃんと分かる。

ありがとう、おかあさん。あの時の血だらけの貴方を忘れません。

(原文まま)

真っ先に家族の事を考え行動を起こしたお義母さん。

普段は何も言わないけれど、お嫁さんの事も家族の一員だと心から思っていたのでしょう。

震災により多くの命が失われ、住む場所も奪われた人もいるでしょう。

そんな時だからこそ、今自分にできる事を考え行動を起こしたお義母さんに頭が下がる思いです。